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No.19
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スポーツと平和
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一〇月二〇日(土)立川市にある国立昭和記念公園で箱根駅伝予選会が行われた。ヘリが爆音を轟かせ上空を飛び交う、騒然とした異様な光景が辺りの空気を支配し、号砲は鳴った。 「オリンピックで大切なのは、勝つことではなく、参加することである」近代オリンピックの生みの親、クーベルタン男爵の言葉だ。スポーツを通じて世界を平和に、というのが事の始まりだった。しかし、二度の世界大戦や日中戦争での中止、ソ連のアフガン侵攻を巡るボイコットが行われたモスクワ、ロサンゼルス大会など、政治的にも左右されてきた。来年はアメリカ・ソルトレイクにて冬季大会が行われる。 オリンピックと時を同じくして行われたパラリンピック。障害の原因は病気や交通事故だけでない。地雷をはじめとする、戦争で障害を負った選手の多さに驚かされた。昨年のシドニー大会では、内戦で敵として戦っていた兵士達が、車椅子バスケットのチームメイトとして共に行進している姿があった。笑顔の向こうにある想いは計り知れない。オリンピックに比べてスポットは当たらないが、平和の祭典は、パラリンピックにこそふさわしい言葉かもしれない(晋) 試合終了をラグビーではノーサイドと言う。その瞬間、敵味方の隔てが無くなり、同志になる。真剣であればある程絆は強くなる。戦争という巨大な怪物の下では個人の感情など塵にもならないかもしれないが、そうして知り合えた友の国と戦争をする事は無いだろう。利害の発生しないコミニュケーションこそ平和への足掛かりだ。 今、自分に出来ることは沢山ある。どんな大きな業績も小さな一歩からだった。我々はスポーツから多くの事柄を学んだ。そしてその過程のなかで健全な心身を養い、人と喜びを共有する事の素晴らしさを教えられてきた。それぞれの純粋な努力は、やがては豊かな人間環境を築くだろう。意義のある生き方、問われているのは正に日常の中に託された、真摯な態度ではないか、平和に生きる、当たり前の様だが、気づかない平和へのパスポートだ。 |
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