磯松大輔選手
二七歳 コニカ 法政大学卒
マラソン 二時間一四分五七秒
ハーフマラソン 一時間〇一分五二秒
五〇〇〇m 一三分四五秒八九
一〇〇〇〇m 二八分〇七秒三二
・ニューイヤー駅伝で優勝したコニカのキャプテンとして活躍中の磯松選手。派手なところはないが、しぶとい粘りのランニングが印象的だ。学生時代からリーダーを務めてきたのには何か訳があるに違い無い。
陸上競技との出会い
・「中学校の陸上部とは別に、近所のおじさんがやっているマラソンのクラブにも入っていました。現在もお世話になっていて、山口県では名物おやじです。競歩やサッカーを取り入れたり、岡山や広島、九州など、県外の試合に連れて行ってくれました」週に一度の練習でも、陸上の楽しさが次第に理解できる様になってきた。
大牟田高校の大見先生
・「中三の時に、大分県に三〇〇〇mを八分台で走る強い奴がいるから行ってみよう、とクロスカントリーに出場しました。そこで優勝したので、大見先生にスカウトされました」この出会いが陸上人生の転機となった。
高校時代
・「行くなら日本一を狙える学校がいいなと思っていました。中学の先生は反対しましたが、最終的には、親がおまえがやりたいんだったらと、言ってくれました。先生は厳しかったです。僕は一年の時からレギュラーと一緒に下宿する事になったんですが、お客様じゃないんだぞ!と言われて、気を抜く暇もなかった。そんなストレスから腸捻転になり入院してしまいました。お前は見かけ倒しだ!と言われてばかりで悔しかったですね。逃げてやろうかとも思いましたけど、恐くて・・・。そうしているうちに、だんだん練習で走れるようになって、先生の厳しさも受け止められるようになりました。夏が過ぎて急に力がつき、駅伝等でも結果が出始めたので、やってて良かったと思いました」
・大学時代、キャプテンとして話す時も、先生に教えられた事が自然に出て来たという。競技者の原点を叩き込まれたのだろう。取材後、ある高校の先生から聞いた話だが、大見先生は「初めて話をした時、走り終えたばかりなのに、正座した足を崩すこと無く、流れる汗を拭おうともせず、視線を反らさず話を聞いてくれた。こんな子には出会ったことがなかった」と磯松君の事を語っていたそうだ。特別に厳しかったのは、先生流の愛情表現だったに違いない。
練習を積んで結果を残したい
* マラソンで頑張れたら将来は何でも出来る気がします *
法政大学時代
・法政は自由のきく大学なので、練習はこうしたい、あの大会に出たい、と言うと『お前の実力ならいいよ』と了承してもらえました。一年の春に記録が出たのが大きかったです。大して頑張ったと思いませんが、そこそこ走れました」人並みに遊んだし、キックボクシングのジムに通ったりもしたが、どれも走る魅力には勝てなかった。当時、法政と言えば、磯松と言われる程だった。コニカの後輩でもある坪田選手、現役の徳本選手など、学生のトップクラスを輩出している。
実業団
・「最後までしっかりやれば良いスタートが切れるという事が頭の中にあったので、箱根の後すぐコニカの寮に入リました。ワイナイナが琵琶湖マラソンでアトランタの代表を狙う時で、一緒に合宿をやりました。ワイナイナにしこたま鍛えられたおかげで、一万メートルのA標準を突破出来ました。今、キャプテンをやっていますが、学生時代のようにチームをどうしようか、というのはないですね。 放っておいても、それぞれ勝手にやっています。自分が強くなる事だけしか考えていません。個人で強くなって駅伝の時に集めればいいんだという考えですが、自然に同じ方向を見るようになります。基本的に仲は良いです。 お前も来年までだな、なんて、けなし合う事もありますけど、逆に発奮して頑張ります。悲愴感は全くないです」強い選手が多いとチームにプロ意識が強まるようだ。
マラソン
・「ドロ沼状態です。練習が甘いんだと思いますね。今日はいけると思ってスタートするんですが、一〇キロ過ぎると何かおかしいな、一五キロ過ぎると重いな、こんなはずじゃないんだけどな、という感じです。一キロ三分はそんなにきついはずないのに、上手く乗れないですね。ワイナイナと同じ練習をやって結果が出なかったので、タイプが違うのではないかと思い、練習方法を変えました。彼はスタミナ型なので長い距離を踏みますが、僕はスピードを生かしたやり方に変えてみました。それでも結果が出なかったので、次はどうしようかと。
・ワイナイナは、力以外に何か持ってます。本番で良い流れになるような、そんな空気を感じますね」コニカを選んだ理由の一つは、ワイナイナとマラソン練習をやれる事。しかし、何か練習だけでは埋められない差を感じる。
ケニア選手の強さ
・「ワイナイナは努力してここまできたから、まだ身近に感じますが、ガソに関しては、もう勘弁してくれって感じですね。ギタヒにしても、駅伝で抜かれた時には、弱気になったら駄目だ、絶対についていこう、と必死なのに、一〇〇メートルももたないんです。背は僕と同じくらいなのに・・・努力で追いつける次元を遥かに超えています」どんなレベルのスピードなのか想像もつかない。世界に挑戦するにはマラソンしかないのだろうか。
将来の夢
・「マラソンで結果を残して色々な世界の大会で優勝したいですね。世界のトップを目指したいです。引退したら陸上だけに捕われないで、全く違う事に挑戦するのも面白いかなと思います。指導者になりたいという夢もありますが、もしかしたら他の才能があるかもしれない。ただ何をするにしても、マラソンで頑張れたら将来は何でも出来る気がします。あんな苦しみを我慢できれば、もう何でも我慢できるだろうと思いますね。とにかく今は練習を沢山積んで結果を残したいと思います」現在の生き方が、将来違う形で大きく花開くこともある。陸上だけに固執せず、自分のあらゆる可能性を試す時かもしれない。
取材を終えて
・曇りのない真直ぐな心根。決めた事には責任を持ち、投げ出さない。妥協を許さない真面目な心は夢を現実に引き寄せる。
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