望まれる抜本的組織改革
Jリーグでは、組織改革が行われた。協会の専務理事に、元女子バレーの日本代表、三屋裕子さんが就任し話題となった。「トータルなスポーツマネージメントを考えていきたい」という発言にはJリーグのグローバルな発展が期待出来る。受験戦争がもたらしたスポーツ離れ、指導者の高齢化と人材不足、勝敗第一主義。このままでは、日本のスポーツが崩壊するのも時間の問題だ。行政よろしく天下り式縦割りがはびこる中、非常に画期的な試みである。Jリーグは百年構想を掲げている。「私たちは、リーグの社会的役割をきちんと認識し、そのための業務を遂行することにより、だれもが気軽にスポーツを楽しめる機会や場を、より多くの地域の皆さんに提供したいと考えています」それも障害を持つ人々にまで、その対象を拡げているのである。そこで、選手とスタッフ、地域住民の共同作業で、一つの作品を作り上げる様にスポーツに接すれば、夢も膨らむ。百年は人生の長さ以上である。実現すれば、確実に次世代に受け継がれ、必ずや変革が起こる。今のところ、中学校、高校だけにジュニア育成を任せているが、それはすでに限界である。サッカーやラグビーはスポーツクラブの重要性を説いている。残念ながら、まだ理想とはかけ離れている。クラブとは名ばかりの商業主義のレール上にあるのでは、子供達に大きな夢は与えられない。ほとんどの競技に於いて、オリンピックや世界選手権のメダルの数しか頭にない。今こそ、欧米のクラブ組織を見習うべきなのではないか。視野の狭い刹那的な考え方を変えない限り、スポーツの素晴らしさも、納得のいく結果も得られない事実に早く気付くべきである。
前時代的な権力的姿勢
大会役員・審判・監督のレベルアップ
マラソンや駅伝大会で選手よりも遥かに多い役員団。沿道にびっしり立ち並ぶその光景がテレビに映し出される。オリンピックでさえ、そんなに大勢はいない。ボランティアという名目だが、実際にはユニフォームと弁当ばかりか、日当が出る。その経費はただ事ではない。膨張し始めた運営は縮小される事は無い。職務を全うしていない役員の失態は枚挙に暇が無い。コース誘導を間違える、中継点に選手が殺到して転倒する、見ていてヒヤヒヤする場面が後を絶たない。年功序列の為か、ほとんどが高齢者でとても自身は走れそうにない。選手の身になって考えるどころか、高圧的な態度が目にあまる。一つ一つの行為が不自然で、明らかに競技に対する理解が浅い。これでは少数精鋭のプロに任せた方が経済的にも技術的にも納得がいくはずだ。市民大会ではこんなものでは収まらない。不正確な距離やタイム計測、小学生が怒鳴られて怯えているのは茶飯事である。また、審判にも同じ事が言える。先日のアジア選手権で、「よし」「ダメ」などと大声で判定しているのを聞いて、いつの時代の試合なのかと呆れ果てた。前時代的な権力的姿勢のみが目立つ。知識や体力の向上に努力しないのは陸上競技の審判だけの様に思える。陸上以外のスポーツにおいてこんな事はありえない。例えばサッカーやラグビーでは百分近い試合の間中、走り回る。その為に日々のトレーニングは欠かせない。選手並みに身体が引き締まっているのは当然だ。すべてをそのステージに賭けて闘っている選手をジャッジする者が、怠慢を絵に描いた様な風貌では、選手も辛いはずだ。監督も同じ事。陰日向となって支えるはずの指導者が、選手時代の面影もなく、分厚いウインドブレーカーを着込んで、罵声を浴びせているだけではとても選手との信頼関係は生まれない。これでは日本選手が世界の舞台に出て行ける素地が無いに等しい。旧態依然たる体質を一掃するのは急務である。海外のレースでは、運営も応援もスマートで、最小限の役員が見事に職務をこなしている。選手とコーチの人間関係も実に爽やかだ。それを表面だけ真似するのでなく、内面を掘り下げて学ぶ、謙虚な姿勢が欲しい。
好記録の裏にある危険
中学総体、高校総体における記録の向上には目を見張るものがある。トップレベルの選手の身体は、どの種目に於いてもジュニアとは思えないほど発達している。驚く反面、ジュニア選手に相応しいものなのか、疑問が残る。この時期には、敏捷性、平衡性、律動性、巧緻性、柔軟性などの調整力と、行動を持続する為の精神的、肉体的持久力を養う必要がある。しかし、過度なトレーニングを強制すると、身体がそれに順応しようとする為に、より早く完成してしまう。体操競技や水泳がその例だ。しかし、早く成熟してしまうと、それだけ選手として活躍出来る期間が短縮される。陸上競技に於いても同じ事が言える。中学チャンピオンが大成しないというジンクスがあるのも、これに関連しているのではないか。重負荷な筋肉トレーニング、極端なウエイトコントロール、過激なスピードトレーニングによる一時的な記録の向上は、長い目で選手の将来を考えた時、決して正しいとは言えない。渦中の選手達は、まだそれらを見極め自らをコントロールする能力を持ち得ない。全てが指導者に任されているのだ。全国大会や、目先の大会に囚われ、選手の可能性豊かな将来を摘み取る様な指導をしてはいないか、考え直す必要がある。指導者は、勝敗、記録への執着よりも、子供達に対する愛情を優先する事を忘れてはならない。
ワールドカップの遺産( 2 )
冷静な目で正しい判断を
「カズはもう要らない!」「なぜカズを外した?」大袈裟な見出しが乱れ飛ぶ報道。掌を返した様にころころと態度を変え、ポリシーのかけらも無い。一般大衆はより強い刺激を求める様になっていく。味覚も音楽も、そしてスポーツの世界にまでそれは及ぶ。目先の事に大騒ぎし、勝敗だけに一喜一憂する。それをマスコミが煽り立てるから、選手のバスに卵やトマトを投げ付けたり、城選手に水を掛けるなど、短絡的な行為に走る。適切な取材を行い、冷静な目で状況を分析し、その結果書かれた記事がどれ程あるのだろうか。事実を正しく伝えてくれないから、取材には応じたくない、とイタリアに移籍したサッカーの中田選手のマスコミ批判は厳しい。表面的な現象だけが取り沙汰され、選手の地道な努力はひとつも伝わらない。そして、好い結果だけを選手に要求するのだ。それに大衆が洗脳されるのも仕方あるまい。このままでは、日本スポーツ界の発展は望めない。今一度、マスコミも私達もスポーツの本当の魅力は何か、考え直してみるべきだろう。決して勝敗だけの問題ではない。画面に映るスター選手達は、その裏でストイックなまでにプレーを突き詰め、努力を惜しまない。それを少しでも理解出来れば、彼らからより深い感動を得られるに違いない。
このままでは人も競技も崩壊する、組織の為に勝つ事だけを強いるのは、もう止めよう
原因不明の不調
プレッシャーに負けない身体
自律神経が未発達な子供が多くなっている。原因は、運動不足、睡眠不足、朝食抜き、家から外に出ない事など、生活習慣の悪化が影響している。部活動を離れ、塾に通い、コンビニでおやつを食べ、ファミコンで遊ぶという生活パターンやその社会背景に問題がある。自律神経とは、意志とは無関係に働き、消化、吸収、循環、代謝などを無意識的・反射的につかさどり、身体の内部環境を調節している。失調症になると、頭痛、腹痛、嘔吐、低血圧、便秘、下痢など、その症状は多岐にわたる。身体の調節のバランスが崩れた状態で、ストレスに勝てない身体になってしまうのだ。本来、成長期に於ける心身は、自然や、仲間との様々な経験を通して、適度なストレスを受けながら強くなっていくものである。ストレスに強くなれば、どんなプレッシャーの中でも、自分の能力を最大限に発揮出来るだろう。スピードスケートの清水宏保選手は、レース前に、自律神経と対話をして自分をコントロールしたと言う。本番に弱い、原因不明の不調、気分が乗らないなど、思い当たる選手は、まずは、嫌な事から逃げず、前向きで規則正しい日常を送る様に努力して欲しい。その上で、十分にトレーニングした身体に思いやりのある言葉を掛ければ、きっと期待に応えてくれるに違いない。