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No.10


ワールドカップの遺産
このままでは人も競技も破壊する 組織の為に勝つことだけを強いるのはもう止めよう

ワールドカップの遺産
Jリーグ発足以来、日本サッカーのレベルアップは目覚ましい。ここまで選手を引き上げて来たのは一体誰なのだろうか。世界の頂点を争う国からの外国人選手達である。日本で一緒にプレーする事など考えられなかった一流選手達がぞくぞくとやって来た。 鹿島のジーコを筆頭にブラジル代表経験者、ヨーロッパ各地からも多数。彼等が日本人に与えた影響は大きい。技術的な事はもちろんだが、何よりも一流選手の持っている高い意識がチームに大きく関与した。徹底した自己管理と競技に対する真摯な態度、チーム全体の向上の為に教育的指導も厭わない。中にはクリスチャンの選手もいる。ヨーロッパへ行けばもっと活躍の場があったかもしれないが、神が日本を選ばせた、と言うビスマルク。ジョルジーニョも彼と共に日本でスポーツ選手の為に伝道したいと言っている。彼等は皆、勝ち負けを越えたところでサッカーという表現方法を追究している。一見華やかなスター選手の実像は見事に真面目なものであった。超一流のプレーはいつも肉体と精神の限界で繰り広げられる。それを支えるのは体力だけでなく、心や知識だという事を教えられる。グラウンドを離れていても、最高のプレーをする為には何が必要なのかを考え続ける日常がある。地道な努力が華麗なパフォーマンスを作り出す事をJリーガーは目のあたりにしているはずだ。そして、着実にグローバルスタンダードを身につけつつある。世界の舞台ではそう簡単にスポットが当たらないかもしれない。しかし、チームメイトも他国の代表選手として活躍している、その事実は大きな自信となって彼等を支えるであろう。

時の忘れ物 長距離陸上界
サッカーに限らず、国際色豊かなスポーツが増えつつある。ラグビーも然り。元オールブラックス選手が何人も来てプレーしたりコーチをしている。テストマッチでも以前の様に完敗は少なくなった。一方、若手の有望選手はまず海外に留学する事が多い。今春から日本代表神戸製鋼の岩渕選手はケンブリッジ大で、関東学院前主将の箕内選手はオクスフォード大で学んでいる。発祥の地、イギリスでその真髄を吸収してくれる事だろう。冬季オリンピックで活躍したスキー陣はどうか。シーズン中はほとんど海外で転戦し、外国選手との交流は当たり前だ。情報交換や合同トレーニングも頻繁だから、当然英語はペラペラである。F1の世界も同様である。最近レーサー養成プロジェクトを発足させた鈴木亜久里はレーサー志望の子供達に会う度に声を掛ける。「英語勉強しろよ。喋れないとこの世界ではやっていけないよ」海外レースがほとんどで、マシンに関する言語はすべて英語。外国人エンジニアとのやりとりも当然の事だ。さて、陸上界はいかに。短距離陣はまだ留学が多い方だ。しかし、長距離の選手に至ってはほとんどが国内育ちで、試合や合宿で海外に出かける事はあっても、そこで学ぼうという話は聞いた事がない。国内での移籍があれだけ問題になる様では門外不出にしかなり得ない。アフリカの選手達が日本にやって来るのは、ジャパンイズマネーであって、母国に一族を抱えている選手の宿命は、日本人に容易に理解出来るものではない。命を賭けて走る彼等と温室育ちの日本人との精神的ギャップは計り知れない。日本のあるオリンピック代表選手が、三段跳びのジョナサン・エドワーズを全く知らなかったという事実をどう考えればよいのか。世間知らずもいいところだ。国際舞台でもひけを取らない実力があるにも関わらず、グローバルスタンダードを持ちあわせないとしたら、その先は望めない。高い意識と広い視野で競技を捉えて欲しい。国際大会で平然と英語でインタビューに応える長距離選手の姿を早く見たいものである。

必勝は大人のエゴだ
中学生の犯罪が相次いでいる。複雑な社会構造の中で、楽しめる場所、心休まる場所を持てない子供たちの姿が浮かび上がってくる。スポーツはそんな彼等にこそ必要なのだが、現在の環境は悲観的である。早くから得意な子、不得意な子と区別され、参加する場をほとんど与えられない子もいる。楽しむどころか選別し、ランク付けするための手段のようだ。応援団の掲げる横断幕にも「必勝」「勝利あるのみ」などと書かれている。勝つために怒鳴られ、耐え忍んでやるスポーツに何の意味があるというのか。勝敗第一主義がもたらす弊害だ。成長途上の子供たちには心・身体・技術のバランスのとれたトレーニングが必要。バランスが悪いと、どこかに歪みが現れてくる。指導者はどんな子供でも参加出来る場を、安全な環境で提供し、基本的な技術をスポーツの楽しさを実感できる様に教えるべきだ。勝利の喜びはその延長線上にあるもので、勝っても負けても充実感や満足感を与えられる能力があってこそ指導者としての喜びもある筈である。クラブ組織の場合はこれらをマニュアル化、プログラム化し、有効に機能させる事だ。スポーツには生きていく為の考え方や方法が凝縮されている。自分の役割を精一杯果たす事、目的意識を持って行動する事、物事の達成感、仲間との一体感、これらを体感させる事が大人の役割なのだ。勝敗にこだわるのは大人のエゴでしかない。中高生の部活動さえも学校の広告塔となりかけている今、もっと純粋に、すべての子供たちが心と身体を養成することが可能な環境を創り成熟した社会を創造する事が、大人達の責任 なのだ。