Seria Net
No.09


長野が残したもの
高い意識に裏付けられたパフォーマンスであった

オリンピックが与えてくれた感動は、高い意識に裏付けられたパフォーマンスであった。
競技力と素晴しい人間性が織り成したドラマの新たなる展開


人間性に基づく競技力

それはオリンピックやワールドカップに限らず、どんな舞台でも言えるのではないだろうか。パラリンピックの選手は誰もが素晴らしい人格の持ち主に違いない。人間性が競技力を高め、また技術の向上が人間性を一層高め、その相乗効果が超一流へと押し上げていく。選手個人の意識改革はもちろんだが、周りで支える監督・コーチ陣に豊かな人間性が要求される。選手はそれぞれの競技を通して得た、様々な経験中から、人への感謝を抱く様になる。そうして地道に自分を育て上げる精神構造を養っていくのだ。選手の上に立つ者が、有能な選手ばかりを集める事に躍起になり、勝つ事だけを最終目的に掲げるのは、スポーツの本質に反する態度だ。そしてレベルの低下を招き、世間知らずの選手を生む原因にもなりかねない。長野オリンピックに感化された多くのアスリート達が高い意識を持ってシドニーを目指してくれる事を期待している。

選手は必死に新しい道を模索している
長野県は、有森選手の私生活上の問題を理由に、パラリンピックへの参加を拒否した

日本選手が変わった。自立した個人として競技に挑む姿、伸び伸びとパフォーマンスを繰り広げた様子は今まで見たことがない。本当に日本人なのかと目を疑うほどであった。レース前に一切のコメントを拒否し、マスコミの集中砲火を浴びた清水選手。そして金メダルを取った。掌を返したような賞讃の嵐の中、その時を振り返り「自分のメンタルのための意識的な行為だった」と語った。日本人は風向きによって選手を持ち上げたり、逆に石を投げたりもする。集団風見鶏のようだ。選手達はそんな無責任な観客と距離を置き始めたのかもしれない。今後、スポーツ界はこの様な新しい精神構造の選手達に担われていくのだろう。しかし、オリンピックの余韻の醒めやらぬうちに、今度は有森選手叩きが始まった。長野県は、有森選手の私生活上の問題を理由に、パラリンピックへの参加を拒否した。選手は必死に新しい道を模索している。遅れているのは、夢をありがとう、などと無責任に謳うマスコミや観客だ。選手にとっては夢ではない。厳しく辛い練習の積み重ねの上の現実なのだ。

原田のジャンプ

団体ジャンプが金メダルを獲得した。あの原田が涙した。これほど選手と観客が一体となって喜び合った金メダルは類をみない。勝ちたいと思い続けた彼らと一緒に私達も飛んだ。
四年前の失敗以後、心中察するに余りあるが、以前にも増して饒舌になって原田は取材陣の前に現れた。それは決してサービス精神だけではない。一発勝負の競技は集中力が勝敗を左右する。若手選手が競技に集中出来る様に進んで楯になっていたのだ。図抜けたキャプテンシーである。プレッシャーで押しつぶされそうな状況であったに違いない。そして最後のジャンプの時がきた。出来ない事は全て神に任せた。冷静さを取り戻した翼は限り無く飛んだのだ。コーチ達と抱き合って喜ぶ姿には、古めかしい根性論とオリンピック特有のジンクスに侵された曾ての日本選手の姿は無かった。

プロ化へのアプローチ
日本陸上界へのアンチテーゼ

チームとは共同で試合をする集団であり、組織とは秩序ある全体を指す。そこに属する選手には役割を果たす義務がある。優先されるのは、チームや組織の目標であり、個人のそれは二の次と言ってもいい。有森選手はマラソンを夢見て小出監督の門を叩いた。始めから目標がはっきりしていたから組織もその熱意に折れた。自分を最大限に活かす場を得る事が出来たのだ。だが2度の五輪メダリストは、いつしかチームの器には収まらなくなってしまった。選手生命をかけたプロ化へのアプローチは、たくましくもあり健気でもある。日本陸上界の現状は、彼女を支えきれない程脆弱なのかもしれない。

早田選手の成功も大きなアンチテーゼになっている。失敗が許されない状況の中で、周囲の思惑に翻弄される有能なランナー。その重圧と孤独感は計り知れない。組織との確執を越えて、自ら結果を出す事で大きな成長を掴んだ。若者の成長はいつの世も早い。時代が進化すればするほど、その速さで新しい才能は生まれて来る。既成の概念に捕らわれていては彼等を育てる事は出来ない。個人を活かす組織には高い理想と柔軟な考え方が要る。壷中の天地だけしか知らないとしたら、組織も選手も抵抗力を失い、共倒れしてしまう。枠を超えた大きな器を用意する時が来ているようだ。

グローバルスタンダード

様々な業界でこの言葉が話題になっている。直訳すれば「国際標準」。スポーツ選手も国際舞台で通用して初めて一流といえます。ただ単に競技力だけでなく、言葉や習慣の違い、各国の常識についても積極的に勉強し、精神的にもグローバルスタンダードに近づく必要性があると思います。勝ち負けだけにこだわった近視眼的な考えでは、国際的に強くなる事は不可能です。世界を目指すには競技力だけでなくさらに高い知識・教養を身に付ける必要があるのです。