ワコール藤田監督の解任が示すもの
長距離の名門チームとして知られたワコール陸上部の藤田監督の解任が発表された。退部した選手の家族から体罰を伴う指導と退部後の進路について制約を課そうとした事についての問題提起が発端だった。問題が表面化する前、高校の恩師に相談に来ていたワコールの選手に偶然にも会っていた私は、その話の内容に激しい憤りを感じていただけに複雑な思いは拭えなかった。事実は想像以上に悲惨である。そしてこの種の問題は決して少なくない。私の所に寄せられる相談も増えている。指導について疑問を感じた選手、コーチ等の移籍は、自由ではないのが現状だ。自由が無いのではなく、縦社会構造が選手を束縛しているのだ。しかも、代表選手選考の実権を握る強化委員会が、組織力を盾に権力をふりかざしている。強い選手を輩出した指導者が順送りに強化委員になる。ベールに包まれた選手選考。強いコネクションを持っているチームや選手に有利に働く。これでは例え強くても時流に乗らない選手や組織下にない選手にはチャンスがない。視野の狭い強化指定選手制度や強化合宿等にも責任の一端がある。何故、これ程までに陸上界が封建的なのか。それは選手の育成、強化の過程で勝敗や宣伝効果が優先され、未来を見据えた高い理想が欠落しているからだ。次期オリンピックや世界選手権の為の強化では余りにも一過性だ。憎むべきは一陸上部の監督の体罰の問題ではない。陸上界の病巣に未だ誰もメスを入れていない現実だ。今回の行動はまさに勇気ある決断だった。怒鳴って叩いて走らせても世界チャンピオンは生まれない。陸上界の組織的な改革、そして自ら執刀する英断を指導者に期待したい 。
山根