日本で多くの外国人選手が活躍している。また、海外に日本人選手も進出するようになった。彼等がどのような思いでいるか、どんな立場でいるか、知る由もない。マスコミだけの情報で彼等のイメージを作り上げていることはないか。少しでもそんな選手の素顔を見て欲しい。
君はジェンガを知っているか!
ダニエル・ジェンガはケニア出身。朋輩ジョン・マイタイとともに現在、茨城県竜ヶ崎市の流通経済大学の陸上部に所属している。昨年の箱根駅伝予選会では11位と、創設して間もないチームとしては優秀な成績を上げた。2人はその原動力となった。3年前、仙台育英高校を全国優勝に導いたことでも知られている。国内の駅伝大会での活躍ばかりが目立つようにみえるが、ダニエルは、昨年の福岡ユニバーシアードにおいて3000m障害を制覇。今年1月には東京シティハーフ2位などの成績を残している。
情熱的でよく気のつくタイプのダニエルと底抜けに明るいジョン。アトランタでマラソン3位のワイナイナは彼らの親友である。君はジェンガを知っているか!
大学入学当初、ダニエルは環境が変わったことのストレスからか、極度の疲労感と貧血に悩んでいた。そんな頃、我々は彼らと出会った。以来、熱心なセリア・ユーザーとなった彼のもとへ何度も足を運ぶ結果となった。
ダニエルの目標は、4年後のシドニーオリンピックにおけるマラソン出場である。陸上王国ケニアにおいて、5000m、1万mの選考会を勝ち抜いて代表になるのは非常に困難である。唯一マラソンだけが10分台を切ることによって可能性が出てくる。もう来年からマラソンの練習を始める予定である。
彼はケニアの高校入学がすでに決まっていたところで、スカウトされ日本にやってきた。ケニアにそのままいたとしても、高校で、その後はクラブ・チームあるいは軍隊で練習しながら、世界の大会で活躍していただろう。ケニアの選手は自国ではあまり記録を出さず、海外で記録を樹立し賞金を稼ぐ。最近ではクラブ・チームも増え、陸上だけで生計を立てていけるようになっている。無所属の場合でもトレーナーがマネージャーを兼任し、レースのスケジュールを立てていく。無理な予定を組んで、体が壊れるようなことはあり得ない。日本では当然、実業団チームでの活動となる。
ダニエルは自分の進路を真剣に考えている。プロを目指す選手なら誰もがぶつかる壁である。シドニーマラソンに参加し、早くコースを知っておきたいという彼の希望を考えると、できるだけ条件のよいチームに入れればと思う。しかし、陸上界の人脈は先輩・後輩、先生・教え子と、非常に狭い。さらに企業・大学・高校というつながりもある。選手個人の自由な選択の幅はどれぐらいあるのだろうか。いま、二人は自分の将来と世界を見据えている。
「来年なら箱根に行けるんじゃないか」と言った同僚の選手に対し、ダニエルは「そう言っていたら再来年になる」とたしなめた。不真面目な練習態度の者に対しては火のように怒った。人として尊敬できる純粋な人物である。彼らが世界のジェンガ、世界のマイタイとうたわれるまで、我々はいつまでも応援しつづける。
ワイナイナから教わったスピリット
世界的なランナーになった彼の素顔は、純粋で真面目である。ダグラス・ワキウリに影響を受け、マラソンで強くなりたいと平成五年冬来日した。当時の印象として、「寒かった。練習が出来るかな、出来ないかな、心配。」「練習が難しい。」と振り返る。不安と悩みの中で一人で過ごしてきたのだろう。表情から辛かった様子がうかがえる。
転機は平成六年の北海道マラソンで優勝したことで訪れた。それ以来、「練習が楽しくなった」と目を細めたように、今までが正しかったと答えを出せたことが自信につながったようだ。それからの二年間で、東京国際マラソン優勝、イエテボリ世界選手権ケニア代表、アトランタオリンピック銅メダリストとなる。自分のことをこう言う。「ファイティング スピリット、私、強い」辞書には闘志と訳されているが、それだけではないように思う。彼は、母国の期待を真正面から受け止め励みにしている。
日本選手であればプレッシャーに押し潰されてしまっているはずだ。期待に応えるためにがんばる。それはすべてひとのための行為である。正に生きていく力のように感じる。日本人に一番欠けていることであると思う。現実問題として、中高生のほとんどは進路を自分で決める手立てを持っていない。その恐怖感が体に影響し競技力まで低下させている。こんなことでいいのだろうか。自分自身あらためて強く生きることを考えた。
|